臨床例−1
「補助栄養と癌治療のシンポジウム」で発表されたマイタケD-フラクションを使用した臨床例
補助栄養と癌治療のシンポジウム臨床例
“補助栄養と癌治療のシンポジウム”で発表された典型的な臨床例をいくつかご紹介しましよう。いずれもマイタケD-フラクションとマイタケ錠剤を経口で服用して症状が改善された例です。
1 51歳男性、肝臓癌第三段階
1993年より、アドリアマイシン(ADM)という化学薬品を投与されていたが、十分な効果がなく、副作用がひどいため、アドリアマイシンの継続を拒否。その後、一日にD-フラクション・エキスを35mg、マイタケ原末の錠剤を4グラムづつ服用し、8ヶ月後、患者のビリルビンとアルプミンの値が改善された。ビリルビンは4.7mg/dlから1.8ml/dlへ、アルプミンは2.1g/dlから3.7g/dlへ改善され、さらに、プロトロムビンの活性が36%から92%に上昇。結局、ガンの進行段階は第三段楷から第二段楷へと、医師の診断が変更された。
2 56歳女性、肝臓癌第三段階
この患者の場合、血清ビリルビンが3.5mg/dl、アルプミンが2.8g/dl、プロトロムビンの活性が48%と低く、進行第三段階と診断された。すでに、腫瘍の直径は2cm、さらに、リンパ節への転移が確認されていた。1994年一月に動脈に注入用カテーテルを通し、ADM、シスプラチン(CDDP)、5−FUなどの化学薬品を投与したが、一向に改善が現れず、同年12月に、マイタケ療法を開始。毎日、D-フラクション・エキスを55mg、マイタケの錠剤を6グラム飲み、翌年7月には、ビリルビンは2.7mg、アルプミンは3.1g、プロトロムビンは、63%にまで改善された。結局、進行は第一段階という診断が下された。
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3 53歳女性、肺癌第三段階
1993年11月に、進行が第三段階と診断され、CDDPを80mg/m、CPAを350mg/m、ADMを50mg/uと、化学薬品が投与されたが、結局、副作用に堪えられず、1994年3月に薬品の投与を停止。その後、毎日、マイタケD-フラクションを50mg、マイクケの錠剤を4グラムづつを取り、14ヶ月後には、進行段階が第一段階まで改善された。
4 71歳男性、肺癌第四段階
主治医より、末期第四段階、余命3ケ月未満と診断された。すでに、化学薬品の投与も手遅れで施せない状態で、マイタケ(舞茸)に頼る形となり、毎日70mgのD-フラクションと9グラムのマイタケ錠剤を摂取した。残念ながら、その20ケ月後亡くなったが、腫瘍が小さくなり、あらゆる症状も緩和され、亡くなられる直前の診断は第三A段階まで持ち直していた。また、転移していた腫瘍も消えていた。家族の話では、あまり痛みを訴える事もなかったと言う。結局、この忠者さんは亡くなってしまいましたが、当初の余命3ケ月という診断を17ケ月も延命できたのは、マイタケ(舞茸)の効果であったのではないでしようか。
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5 45歳女性、乳癌
この患者さんは,ER+(エストローゲン陽性)で、腫瘍は直径1.8cmでした。1992年の4月に、一つの乳房を切り取る外科手術を行い、同時に5-FUとADMの化学療法をはじめ、1994年の2月まで施しました。ところが、同年4月には再発、直径0.9cmの腫瘍でした。今回は、手術を拒否し、大量のマイタケを飲む事としました。毎日、100mgのD-フラクションと50グラムのマイタケ錠剤を取り続け、半年後に、D-フラクションの摂取量を80mgに減らしました。1995年5月、再発した腫瘍は完全に消滅した事を、主治医が確認いたしました。
6 44歳男性、脳腫瘍
この臨床例は、D-フラクションがとても良い効果をみせた例です。この患者さんは、化学療法も放射線療法も取らず、4ヶ月間、毎日、D-フラクションを100mg、マイタケの錠剤を6グラムを飲み続けました。実はそれ以前、1994年2月から、4ケ月おきに化学薬品(CCNU135mg)を投与していたのですが、副作用がひどいため、停止し、その後マイタケを始める直前の4ケ月間は、何の治療も施されていませんでした。マイタケを始めて4ケ月後、にわとりの卵ほどの大きさだった腫瘍が完全に消えている事を、MRIの結果で確認されました。